「人は本来、魂の光を携えた存在である」
でも、人生の中でその光を忘れ、
心と身体に不調和を抱えながら生きてしまうことがあります。
魂蘇セラピーは、
「本当の自分に還る」ことを思い出すために生まれました。
魂の記憶に触れ、心を癒し、身体をゆるめることで、
人が再び自分の光とつながり、人生を創造的に生きられるようになること。
それが私たちの願いであり、魂蘇の存在理由です。
ヒプノセラピストとして15年ほど・・日々使命感を持って、お一人お一人丁寧に臨床を続けてきてそれなりの結果も出してきたと自負しています。
ですが、催眠のスキルも経験も積み重ねていきながら「心」だけでは届かない領域への限界も感じていました。
言葉の誘導だけでは片手落ちだなぁと・・。
もちろんタッピングや、ソマティックヒーリングなど
身体や症状にアプローチする効果的な手法も習得し、
施術させていただいています・・ですが
トラウマが根深くて心を閉ざしてる方
イメージ力が低い方
身体がガチガチの方へのセラピーに対して
ヒプノでは入れない、入りづらい、時間がかかりすぎることなどで、
解決策を探していました。
そして、整体師や鍼灸師さんからのご紹介も多くあり
「身体」のケアだけでは解放されない、
感情やトラウマからくる病気や、身体の痛みがあることも知っています。
心と身体と魂が簡単な手法で、同時にケアできたらいいのに・・・
そんなことを思っていました。
癒しの現場で出会った方々の深い涙と沈黙の奥に、
感じるジレンマ・・
埋められない隙間にピッタリ合うものを
ずっと探していたのです・・・。
ヒプノセラピストとして充実した日々を送りながらも、
人生では何度も揺れ動き、
喪失や病を経て、立ち止まり、問い続けることもありました。
2024年。
仕事は順調で、講座もひと段落。書籍の改訂版も出版されました。
けれど心は、なぜか燃え尽きたような空虚さを感じていたのです。
「もう、ひとりで頑張る生き方は終わりにしたい」
「神に委ねてみたら、何が起こるのだろう?」
そんな想いに導かれるように、
私は一人でアッシジの地を訪れました。
イタリア――前世から何度も関わってきたと感じる懐かしい場所。
なかでもアッシジは、私にとって魂の故郷のような土地。
かつて病床で、夢枕に現れた聖フランチェスコの導きにより
私は再び歩み始めることができた──そんな特別なご縁の場所でした。
教会を巡り、祈りの人々の言葉に耳を傾けながら
私は「神にすべてを委ねて生きること」を静かに祈りました。
アッシジの空気には、
宗教や国を超えた“愛と平和”の波動が息づいています。
自然と共にあり、謙虚に、調和の中で生きるということ。
そこに流れるエネルギーに触れたとき、
身体は深くゆるみ、心には優しい愛が広がっていきました。
その地で、チャネリングのように降りてきた言葉たちは
私の魂を震わせ、根底から癒してくれました。
帰国後、出会ったのが「エアハート®」。
その施術に、長年培ってきたヒプノセラピーを加えることで
目覚ましい効果を生むことに気づきました。
まるで導かれるように手法は形をなし、
自然とひとつの流れが生まれていったのです。
そしてある日ふと──
その名は「魂蘇(こんそ)」であると、魂の奥深くで思い出しました。
これは、創ろうとして創られたセラピーではありません。
神の導きと、魂の記憶のなかから
そっと“現れてきた”ものだったのです。
魂蘇は、
エアハート®という身体をやさしくゆるめる技法と、
ヒプノセラピーによる潜在意識と魂への深いアプローチを融合させた、
統合型のヒーリングメソッドです。
身体、心、魂。 それぞれを別のものとして扱うのではなく、
ひとつの流れとしてとらえ、
宇宙に満ちる無限の愛と調和の中で働きかけていく。
それが魂蘇の本質です。
「魂蘇(こんそ)」とは、
“魂が蘇る(よみがえる)”
という意味を込めた造語です。
そして、英語名「Soul Genesis Therapy」は、
魂の再誕生、
魂の原点への還りを意味しています。
これは、セラピストが何かを与えるセラピーではありません。
受ける方が自分自身の内側にすでにある“光”と出会い、
思い出し、魂の声とふたたびつながるための旅路です。
癒しとは、技術ではなく“在り方”です。
私たちの内側にある光と、宇宙に満ちる愛が響き合うとき、
魂は自然に目覚めていきます。
魂蘇は、そんな目覚めの瞬間にそっと寄り添うセラピーです。
この世界に、自分自身の魂の声を思い出す人が増えること。
そして、その光がまた誰かの癒しとなって広がっていくこと。
それが、魂蘇の根底に流れる祈りであり、誕生の理由です。